花輪組の屋台

はなわぐみのやたい

指定種別 種別細別 指定名称 所在地域(旧町村) 所在地区
市指定 有形民俗 花輪組の屋台 美和地域   鷲子

 4・5年に一度、茨城県側の氏子によって行なわれる鷲子山上神社祇園祭で、神輿の渡御に従う鷲子地区6つの組の屋台と山車のうち、花輪組で所有する彫刻屋台。

 鷲子は、日光東照宮で腕をふるった彫物大工の末裔と伝える人々が継承してきた鷲子彫りの名人を輩出してきた土地柄。みごとな彫刻屋台があるのも納得ですが、実はこの屋台、もともとお隣栃木県は那須大田原の寺町が、嘉永元年(1848)に購入し祭礼で使用してきたもので、おそらく明治になってから鷲子の宿組が購入し、後に花輪と田沢で所有することになったものです。

 当初からの、向拝や座敷の鬼板の龍、および柱や壁板の花鳥等、見事な彫刻の作者は残念ながら不明です。しかし、鷲子に売却されてからの明治16・17年(1883・84)に、当時の鷲子彫りの名人 小林平衛門と堀江弥平による腰板部分の彫刻(唐獅子と牡丹)が加えられており、鷲子彫りの技も遺憾なく発揮されています。

 街中の祭礼に使用される屋台は多くが四輪ですが、鷲子の屋台は、道幅の狭い山間部を容易に曳くために二輪で、後方に補助車が一輪ついています。花輪組の屋台も、ケヤキ製の大きな源氏車の二輪の台車に乗せています。花輪組は山車も所有しており、台車部分は屋台と共有で使用します。

 小林平衛門作の鷲子彫りは、鳥居土組の屋台にも施されており、明治9年(1876)、平衛門が大田原の大工鈴木乙五郎とともに製作したことが分かっています。祭礼など、見学の機会にじっくり観察してください。

(参考文献/河野弘「いばらきの曳山」下巻 筑波書林 1990)