西金砂神社小祭礼

にしかなさじんじゃしょうさいれい

西金砂神社は、常陸太田市上宮河内町の西金砂山山上にに鎮座する大己貴命(おおなむちのみこと)を主神とする神社。9世紀半ばの平安時代から続くと伝えられる、72年ごとの未年に行われる磯出大祭礼と、6年ごとの丑年と未年に行われる小祭礼、それに伴い奉奏される田楽舞で有名である。第17回目の大祭礼は平成15年に催行され、次回の小祭礼は丑年に当たる平成27年の3月下旬に催行される予定。

 

西金砂神社を支える氏子地区は、常陸太田市の上宮河内・下宮河内・赤土と、常陸大宮市諸沢の4地区。この4地区を西四か村と呼び、神幸行列を迎える主要地区で、東三か村と呼ばれる常陸太田市天下野(けがの)・中染・町田を加えた七か村の総意で祭礼の実施は決定される。

 

磯出大祭礼が6泊7日もの日程で、数百人もの行列が日立市水木浜まで神幸する大掛かりな祭礼であるのに対し、3泊4日で常陸太田市馬場町の仮殿まで神幸する祭礼を「小祭礼」と称している。しかし、神輿を中心とした百数十人の行列が、各地区での祈祷のほか、中染、和田、馬場町の三ヶ所で田楽舞を奉奏しつつ進む祭礼は、十分に大きな祭りである。

 

小祭礼では、祭礼当日に見ることのできる行事のほかに、氏子地区をはじめとする関係地区内での伝統的な組織作り、桟敷割りや警固などの先祖伝来の役割、地区ごとの作業分担や独自の付祭りなど、準備段階や祭りの背後に深い歴史を髣髴とさせる様々な古いしきたりが伴っており、そこにこそ小祭礼のみどころや面白さがある。

 

「西金砂神社小祭礼」(『報告書 茨城県の祭り・行事』より)
平成21年(2009)に実施された小祭礼の調査報告。祭礼に関わる地区や個人の対応に注目して書かれたもの。
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※諸沢での行事には、旧諸富野小校庭の一部と鏡泉院奥に駐車場が用意されますが、台数は限られますので、できるだけ乗り合わせておいでください。

※3/29西金砂神社境内への車両乗り入れは禁止です。下宮河内の旧金砂小学校と、上宮河内の金砂の湯からは、神社境内までのシャトルバスが運行されます。ただし、12:00以降のバスの運行は、境内までは行かず、西金砂山登り口の鳥居までとなります。また、三太の湯発で、9:00と10:00に神社行きのマイクロバスが出ます。

西金砂小祭礼 ~知る人ぞ知るみどころ~

西金砂の小祭礼は重層的な祭礼で、神社が行う神輿渡御の行列とは別個に、関わりのある各地区がそれぞれに地区内の祭礼のための寄附を集め予算を組んで、神社の行事と部分的にリンクしながら祭礼を行っています。氏子は西四ケ村(にししかそん)と呼ばれる、上宮河内、下宮河内、赤土(以上常陸太田市)と諸沢で、東三ケ村が天下野(けがの)、中染、町田です。花纏を作り行列を編成して神社境内のオオマチバ(大祭場)で繰込を行うのは、氏子の四地区ですが、町田は近世に始まった火消行列(茨城県指定無形民俗文化財第1号)での参加によって重要な地区となっています。残念ながら今回は、その重責に耐え切れず、参加を断念してしまいました。


祭礼は、もともと中染の旧家、関四兵衛家を目指して行くものであったと伝えられています。有名な、橋上で行なわれる天下野(けがの)から中染への行列の引継ぎの掛け合い、通称「七度半」も、関家へ行列の進行具合を伝える幾度もの伝令が変化したものとのことです。仮殿もかつては関四兵衛家の裏山、花木山(かきやま)に設けられて、ここに関家の差配で桟敷割りが行われ、田楽を拝見したと伝えられています。近世の大祭礼の資料には、関四兵衛が祭礼の主催者として配布した刷り物があります。現在も関四兵衛家では72年毎の大祭礼に御神馬を出すことになっており、御神馬に掛かる経費一切を負担しているとのことです(小祭礼に御神馬を奉納する家は、また別に決まっています)。※関家の背後にある阿弥陀堂には、弘長四年(1264)銘の鋳造阿弥陀如来像(国重文)があります。


かつては田楽師の古川氏も中染に居住しており、渡御の人びとを泊める家も中染内で決まっているそうで、現在でも、3泊4日の行程中、宿泊地は中染のみです。日程的にも無理のある常陸太田市の馬場への渡御は、まるでおまけです。これは、馬場に古川氏が拝領していた土地があり、そこに仮殿を設けて田楽を奏上したことが元となっており、現在の祭場である馬場八幡とは直接の関係はなく、便宜上場所を貸しているのだとのこと。


途中の祭典や祈祷は、通過する村々の要望によって行うもので、それは大規模な和田でも同様です。和田のお休場での費用一切は、山田川沿いの7ケ村(和久、国安、松平、棚谷、和田、東連地、芦間)が持ち、要望がなければただ通過することになっていたようです。ただし、増井(ましい)に立ち寄るのは、正宗寺(しょうじゅうじ)がかつて金砂山の別当職をつとめたいわれからで、これはきまりになっています。


氏子の地区の中でも、宮本とよばれる上宮河内は、水木浜での塩汲みや、その容器である竹を天下野の会沢家の竹林から切ってくるなどの特殊な仕事があります。また、オオマチバの桟敷割りを取り仕切る、神社付の警固の家も上宮河内にあります。


 まだまだ古い慣習が残っている西金砂神社小祭礼。古来あらたかな金砂神のパワーと魅力は尽きません。

小祭礼・諸沢事務所便り1
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小祭礼・諸沢事務所便り2
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小祭礼・諸沢事務所便り3
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西金砂山のおはなし
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 県内の日帰り温泉人気ナンバーワンの「三太の湯」がある諸沢へいらっしゃい


 

 


199回西金砂小祭礼(平成27年実施) 諸沢(もろざわ)で行われる行事

 

小祭礼最終日(今回は3/29)に神社境内(オオマチバ)で行われる、華やかな(はな)(まとい)の繰り込みは、氏子4地区が祭礼の主役となる大きな見せ場ですが、この前後の日に、各地区でそれぞれに「カサゾロイ(笠揃え)」と「カサヌキ(笠脱き)」とよばれる行事、いわば“予行練習”と“祭り終了後の余興が行われます。これは、賑やかにお囃子を奏しながら、地区内の決まった経路を、飛脚を先頭に、正装し(やま)後見人(こうけんにん)宿(やど)後見人(こうけんにん)ともに、諸沢のみに残っている古風な祭礼の中心的役割を果たす役職の名称)と祭礼世話人および代々警固(けいご)を務める家々の代表らで編成した花纏行列が練り歩くもので、諸沢ではカサゾロイを28日(土)、カサヌキを30日(月)に実施します。

神社の小祭礼と並行して行われているこれらの行事は、PRされることもなく、ほとんど存在を知られていません。しかし、西金砂神社小祭礼を支える地域にとって、祭礼でパワーアップした金砂神の分霊を花纏に降臨させて地域にもたらす重要な行事であり、隠れた魅力でもあります。

諸沢地区では、地域で行われてきたこの伝統ある行事を、地元をはじめとする多くの人々にもっと知り・楽しんでもらい、急激な人口減少で元気を失いつつある地域再生のきっかけとするための取り組みを計画しました。

カサゾロイとカサヌキの経路は、祭礼事務所となっている山方公民館諸富野分館(旧諸富野小学校隣接地)を出発地として、北上して鏡泉院へ向かい、ここで折り返して南下し、諸沢の鎮守、十二所神社へと向かうものです。このカサゾロイの日に、市内在住の舞踊家で常陸大宮大使の(ほり)(かお)()さんらによる3回の奉納があり、諸沢地区では諸富野小会場の見学者に暖かい汁物などを振舞う予定です。

堀さんは、もと劇団四季のバレエ講師。12年前に行われた金砂大祭礼を見学し感動したことが縁となり、当市に移住されました。雅楽の生演奏による奉納舞の上演場所と時間は、28日(土)、旧諸富野小学校校庭で12:30~、以下は行列の進行により時間が前後します。予定では、鏡泉院境内13:30~、十二所神社境内15:30~です。

駐車場は、旧諸富野小校庭の一部と、鏡泉院奥に用意しますが、山間地区のため駐車台数が限られます。できるだけ乗り合わせてご来場下さい。少々離れていますが、近隣では、三太の湯の駐車場が最も広く整備されています。お帰りには、ゆっくりと三太の湯でおくつろぎください。