鷲子山上神社祇園祭

とりのこさんしょうじんじゃぎおんさい

実施日/7月中旬の日曜日 ※ただし例年は居祭で神輿渡御は4・5年に一度

次回開催予定年/平成27年

 

 祭礼の参加者が、頭人と呼ばれる少数の地域有力者に固定している「夜祭り」とは違い、祇園祭は鷲子の地域住民すべてが参加する村祭りです。起源は不明ですが、「夜祭り」よりは後に始まったものと思われ、栃木側の氏子は祭礼には関わらず、昔から鷲子のみで行われてきました。

 かつては旧暦6月16・17日に行われ、初日は当番になった組の若衆によって山上より神輿が担ぎ出され、鳥居土で山車と屋台(山車には、風流物と呼ばれる趣向を凝らした人形が飾り付けられます)の出迎えを受けて当番組の祭場に入ります。祭場では神官が神事を行ない、かつては頭人が麻裃を着てこれに参列して神官を補佐したそうです。翌日神輿は山車と屋台の案内で小田野境の下郷まで渡り、帰りは各組の祭場に休みながら鳥居土まで戻り、そこからは神輿のみが当番組の若衆に担がれて山上に帰り、お宮入りとなります。

 祇園祭の当番組は古くは鳥居土・仲島・下郷の3つでしたが、それぞれ二つに分かれ、現在は鳥居土・花輪・仲島・宿・袋木・下郷の6組が交代で祭礼の当番を務めています。

 戦前は、ほぼ毎年神輿の渡御が行われていたようですが、戦後は不定期となり、中絶することを憂えた氏子や神社関係者が、30年ほど前から原則として4年に一度、神輿渡御を伴う祭礼を執行することとして現在まで続いてきました。最近は、氏子の負担を軽減するために1日に短縮して行われています。

 祇園祭前夜は宵祭で、提灯や造花が飾り付けられた山車や屋台に灯りがともり、各組の祭場は華やぎます。

 祭当日朝、6地区の山車や屋台が神輿を鳥居土の大鳥居の所で迎え、下郷までの各組の御仮屋で祈祷しつつ渡御する神輿に付き従い、6㎞もの道のりを巡行。夕方には、神輿が当番組の祭場に設けられたお旅所に到着し、山車と屋台も勢揃いしたところで、勇壮な鷲子囃子の競演となります。しかし現在は、山車・屋台6台が鳥井戸で神輿を出迎えることは困難となって、山車等の運行は各組の裁量に任されており、祭礼のクライマックスを迎えるお旅所も、当番組地内ではなく、仲島の鷲子運動広場(鷲子小学校跡地)に固定しています。

 急激な人口減少という昨今の事情によって、祭礼の形は少しずつ変えざるをえませんが、祭りを続けようという地域住民の熱い思いに変わりはありません。激しくも軽快な鷲子囃子の喧騒が山々にこだまし、祭り気分は一層盛り上がります。

 また、普段は各地区の蔵に保管されていて見ることのできない山車と屋台が、一堂に会する絶好の機会。全面にみごとな彫刻を施した花輪組の屋台もあります。

(参考/『美和村史』平成5年、広報 常陸大宮「ふるさと見て歩き 14」平成18年6月)