善徳寺

ぜんとくじ

 額光山信楽院(がくこうざんしんらくいん)善徳寺。美和地域鷲子にある二十四輩第十二番の浄土真宗本願寺派寺院です。

 佐竹昌義の曾孫 南酒出六郎義茂とされる善念(ぜんねん)を開基としています。善重寺(水戸市)も善念を開基としていますが、善重寺では善念の出自を相模の豪族三浦氏としています。

 開基 善念は佐竹氏3代秀義の子で、南酒出を領し、鎌倉御家人として北条泰時に従って平氏討伐のため上京し、宇治川の戦いで戦功を挙げたといわれています(『吾妻鑑』)。のちに親鸞に帰依した善念が南酒出に営んだ一宇が善徳寺の前身で、寺を正和3年(1314)現在地に移した当時の3代住持 善明は、一説には親鸞の長男 善鸞の子といわれています。延徳元年(1489)の火災によって堂宇を焼失し、現在の本堂は寛永7年(1630)の再建で、市の文化財に指定されています(善徳寺本堂)。

 なお、善徳寺門前の道を東に進むと、市指定史跡 江戸新五郎の墓があります。

(参考/常陸大宮市歴史民俗資料館企画展展示解説「親鸞の高弟たちー常陸大宮の二十四輩ー」2012)