陰陽神社

いんようじんじゃ

 山方地域山方地区南皆沢(みなみかいざわ)の陰陽山(いんようさん)に鎮座する神社。祭神は伊弉諾命(いざなぎのみこと)と伊弉冊命(いざなみのみこと)の2柱です。

 寛文元年(1661)、水戸藩2代藩主 徳川光圀が領内巡視の際、一里南の上大賀(かみおか)村から、ふたつの巨岩に目を留めました。光圀は登山の上親しく眺めて感動し、神社の創建を思い立ったと記録されています。光圀を感動させた巨岩が「夫婦岩(めおといわ)」といわれていた陰陽石、この岩を御神体として創建された神社が陰陽神社です。

 社殿の造営は、光圀の肝いりで元禄3年(1690)から翌年にかけて行われました。鳥居に掲げた「陰陽山」の額は、光圀自ら筆を採り、太田九蔵に命じて石に刻ませたと伝えられます。

 光圀は、神社の氏子を上大賀村・野上村・山方村・長田(おさだ)村・舟生(ふにゅう)村・西野内(にしのうち)村・小貫(おぬき)村の7ケ村と定め、祭礼の方式も定めました。3年目ごとの丑・辰・未・戌年に盛大に行われた陰陽山祭礼です。

 現在、陰陽神社を含む陰陽山一帯は、陰陽山森林公園として整備されています。しかし、神社の御神体であり、陰陽山のシンボルである「陰陽石」は、平成21年3月11日に東日本を襲った大地震で崩壊してしまいました。修復は不可能で、光圀を感動させたかつての姿を見ることはできません。

(参考/『山方町誌 上巻』昭和51年、広報 常陸大宮「ふるさと見て歩き 12」平成18年4月)